三者(朔太郎・中村・ハイデガー)の詩観に脈絡をつける@(P17.11〜P20.3)
詩の本質はまったくちがった部分に脈絡をつけることができる場所からしか視えない。
詩は一本の花とちがってわたしたちの意識の外化されたものとしてある
(文学の党派性などという架空のものとは似ても似つかない)。
「ほんとのこと」を口に出したいとかんがえるとき、じぶんをこの社会の局外にたたせている。それは幻想的態度であるがゆえに社会の慣習の淘汰によっては消滅しない。
幻想的態度とじっさい的態度のあいだが、現実社会からわたしたちが何かをつかみだす場所である。
三者(朔太郎・中村・ハイデガー)の詩観に脈絡をつけるA(P17.3〜P20.終)
「ほんとうのこと」は性格に由来する妄想にすぎないかもしれないが、その性格は遡った歴史的環境から自らがつかみだしたものである。
別の問題
@
ほんとうのことを口に出せば、世界は凍ってしまうという妄想を自分がもつこと
A
その妄想を詩にかくことでその都度消滅させること
(妄想は詩をかくものに固有なものではない)
詩の全体へ接近するために[吉本](P21.1〜P21.8)
詩人がそれぞれの仕方で現実から禁圧されていることと、詩をかくことまたはかかれた詩とを一元的にむすびつけているのは、詩をかくということを主体的にうけとめるかぎりやむをえない。
吉本は、上記端緒をめぐる問題から、詩の実情況へはいっていき、その過程で、いく度も、詩の本質とは何かへ立ちかえり、はっきりした仕方で詩の全体へ接近しなければならないと決意を述べている。
詩の発生の研究 折口信夫「国文学の発生」(第1稿)@(P21.10〜P22.1)
吉本は「詩の本質をたずねるには、発生の極小条件をみるのが有利であるとし、折口信夫の書↓を取り上げる。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/43764_18094.html